主催者プロフィール
兵庫県宝塚市出身
高校卒業まで緑豊かな住宅地にある実家で過ごす。低学年の頃はゆっくりのんびり、街路の植え込みや石垣で一人遊びなどしながら帰ったものですが、そんな経験が今に生きているように思います。
武蔵野美術大学油絵学科に入学
大学入学を機に上京し、一人暮らしを始める。いきなり手に入れた自由を満喫。下宿生活の仲間と夜な夜な激論、大盛り上がりの日々。その間に伴侶もゲットしました。絵を描くことには真剣に向き合っていたと思います。生きるとは、描くとは、今に生きるアートとは…。楽しくも試行錯誤の日々でした。
企業就職するも…
卒業後、絵を描くことを生業にすることには抵抗があり、家庭用品を扱う会社に就職。東急ハンズに売っているようなお洒落なグッズの企画開発を夢見るも、自分の適性に疑問を持ち2年で退社。80年代後半はバブル絶頂期。フリーターであふれる世の中でした。しばらくフリーのデザイナーなどをする中、夫が小学校の産休代替教員を始めたことがきっかけで、自分も教育の道に。
スタートは離島の特別支援学級
5年間で担当した生徒が5人!その中で実感したのが、人にはそれぞれ素晴らしい力が備わっている、ということでした。様々な障害を持った子どもたち一人一人全員が、色彩や形の組み合わせ方など、私にはない造形的な感覚を見せてくれました。島のパワフルな自然環境の中で、このようにして教員生活をはじめられたことは、大いなる恵みでした。
シュタイナー教育と愛育養護学校
初任で未知の特別支援教育に飛び込んだので、日々模索でした。その中で出会ったのが、ルドルフ・シュタイナーの人智学に基づく教育と、愛育養護学校(現愛育学園:東京都港区)の教育でした。人間の捉え方、成長の考え方、そしてそこに働きかける教育者の在り方についてなど、衝撃を受けながらも深く共感し、東京にある教室を訪ねるなどして自己研鑽を積みました。これらの経験は深いところで今の自分を作っていると思っています。
2校目から通常級の担当に
1990年代の中学生はやんちゃでした。ルーズソックス、腰パン花盛り。そこにケータイが普及し始めていました。そんな彼らに対して、管理と受容のせめぎあいが、毎日学校では繰り返されていたし、自分の中でも日常でした。大変ではありましたが、心と心の関わり合いから、中でも美術の授業を通して一人一人の良さ、素敵さをたくさん見つけました。
教員生活15年目に、大学院で学ぶ
「良い授業をしたい、描いたりつくったりの引き出しをもっと広げたい」「教育について一度しっかりと考えておきたい」と考えて、東京学芸大学大学院の門を叩きました。そこで出会った柴田和豊先生から非常に多くの示唆をいただき、それまでの実践や課題意識などが自分の中で次々とつながっていきました。
「人が生きていくこと」と「美術すること」をつなげて考えていくと、私たちの日常生活や社会、そして私たちの心の状態についてもとらえておくことが大切であることが分かってきました。
その後、約20年
たくさんの中学生と出会い、様々な教育関係者と出会い、展覧会などの催しに出かけていくなどして、美術的な活動と人が生きることについて、私自身が考えを深めていきました。研究会などでお話しすることも増えました。学校では教育相談や学年教員をまとめる仕事なども増えました。世の中の様子は刻々と変化していきます。学校教育の在り方も。「学んだことを生活や社会に活かす」という方向が今大きく示されています。そんな中で、私は「自分を支え、人とつながる」美術の力を大切に育てていきたい、と次第に強く思うようになりました。
そして今
造形教室もスタートして一年。
ささやかですが、きらっと輝く楽しさや発見に満ちた時間を積み上げています。
生きていれば、元気な時もそうでないときも、楽しい時も怒りや悲しみにさいなまれるときもあるでしょう。そのさまざまな状況に沿った造形活動が、おひとりおひとりの生き方を支え、励ますことができるのではないか…。その思いをこの一年で確かめています。
下の画像は、私が美術室に長年掲示してきたスローガンであり、今も教室に掲げています。
「あ、いいこと考えた!」「なんか分かったぞ……」「いい感じ!」そんな思いやつぶやきが行き交う教室を、おいでになったみなさまとともに作っていきたいと思います。
濱脇みどり
みんなの造形教室green! 主催
白梅学園大学 東京学芸大学 武蔵野美術大学 非常勤講師